2010年3月31日、いま東京都多摩市のラジオ局「エフエム多摩G-WIND」が歴史の幕を下ろそうとしている。
このブログでは私の趣味である鉄道について大きく扱ってきたが、今回だけはほかの好きなものについて語らせていただきたい。
そもそも私がラジオを聴くようになったのは、小学生の終わりごろ、母親の勧めからであった。AM、FMさまざまな放送を聴いたが、およそ1年でコミュニティFMに落ち着き、中でもエフエム多摩に固定されるまではそれからすぐのことだった。
コミュニティFMとは放送エリアが区市町村単位のラジオ局のこと。自宅では近隣6局のコミュニティ放送を受信することができた。
番組の中での選曲が気に入っていた。大手FM局の違い、流行を追いかけるだけではなく、よい曲なら時代を問わず流してくれるエフエム多摩は、いつしか私にとっての癒しとなっていた。またクラシック、ジャズなど、幅広い音楽に触れることができた。
そしていつしか自らが番組に「参加」するようになっていた。リクエストやメッセージはほぼ必ず応えてくれた。ラジオに参加することの楽しさを知った。
京王線の聖蹟桜ヶ丘にあるスタジオにも何度かお邪魔した。馴染みのパーソナリティさんのほかディレクターさん、次長さんまで私のことを覚えてくださるようになっていた。初めてスタジオを訪れたことは中学3年だった私も今では大学生。最近訪れた時には「ずいぶん大きくなったね」と声をかけてもらっていた。
このとき、私はラジオには血が通っていることを知った。
大学への通学時も、携帯ラジオでエフエム多摩を聴いていた。というより、エフエム多摩の放送エリア内であればどこへ行った時も聴いていたと思う。
それが、今年の2月、突然の知らせだった。
(ここから語調が変わります、ご了承ください)
放送局がなくなるなんてこと、皆さんは想像つきますか?ましてやそれが大好きな放送局だったとしたら…
鉄道趣味をやっていると、古い車両の引退や、列車、路線の廃止など、なくなるという場面によく遭遇します。私の身近なところでは、間もなく中央線の旧型車両201系が引退します。
鉄道とラジオを比べるのもいかがなものかとは思いますがあえていいます。エフエム多摩がなくなることの方が、ずっと辛く、悲しいです。
私にとってのラジオは空気と同じ存在だったのです。いつまでもあると思っていたものとの突然の別れは、辛いのです。すぐには受け入れられないのです。
閉局の知らせを聴いてからの2ヶ月、いろんなことを考えました、そして行動しました。鉄道の活動は、気づけば疎かになっていました。前回の記事で書いた「201系どころではないできごと」とはこのことです。(なにを行動したかはここでは言えません)
あと10分もすれば0時を過ぎて、電波がなくなります。生放送は20時で終わり、いまはいつもの音楽ノンストップ番組です。
本当にこのあと放送がなくなってしまうのか、まだ信じられない自分がいます。
この記事を読んでくださった方がもしいるとすれば、ラジオをいうメディアについて、今一度考えてほしいなと思います。こんな悲しい思いをするリスナーは、今後いてほしくないと切に願います。
思うままに綴りました。乱筆乱文失礼しました。
関連リンク: http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/100209/tky1002091623011-n1.htm (MSNニュース)